2005年6月3日。 私は生まれて初めてバーレーンという地に降り立った。 前日、関空を出発してからドバイ乗り継ぎで16時間後のこと。 仕事帰りのフライトにしては少々きつかった。
しかし今日は決戦の日。 ドイツへと大きく前進するためにやって来たのだ。 「おみやげは勝点3」。 みんなにそう言って出かけてきた。
長いフライトの間、いろんなことが思い出された。 日本にとってW杯予選は8年ぶりのこと。 一次予選は間違いなく突破するはず。 だから最終予選は全て行くと決めていた。 もちろんホーム、アウェー問わず。 初戦、ホームの北朝鮮戦は大黒の“Vゴール”を目の前で見た。 2戦目、
アウェーのイラン戦は後輩のM山に応援を託したが、あえなく敗れて帰ってきた。 彼にはもう大事な試合は任せられない。(笑) 3戦目、バーレーンとのホームは仕事でどうしても行けなかった。 この試合を託した後輩のT内は相手のオウンゴールをもぎ取って帰ってきた。 なかなか頼もしいやつだ。
そして折り返しの重要なバーレーンでのアウェー。 いてもたってもいられず中東の灼熱の地までやって来た。 アウェーの北朝鮮戦は第3国・タイのバンコクで無観客試合。 だからバーレーンには絶対行かねばと。
思えば8年前、1997年11月1日。 ソウルオリンピックスタジアムが私にとって日本代表アウェー初体験の舞台だった。 相手はすでにフランス行きを決めていた韓国とはいえ0−2の勝利。
いまだ立ったことのないW杯の舞台を夢見て、2週間後にはジョホールバールへ。 当時シンガポールに駐在していた先輩に無理言ってチケットを取ってもらった。 今でも心から感謝している。
フランス行きを手にしたVゴールから数分間のことは興奮のあまり記憶から飛んでしまっている。
しかしその瞬間、私は歴史の証人になった。 フランスではリヨンのジャマイカ戦に行った。 グループリーグ敗退者どうしの戦いではあったが日本代表がW杯で初めて刻んだゴールを見た。
そして3年前の6月、今度は日本代表がW杯初のグループリーグ突破を決めた長居でのチュニジア戦にいた。 ラスト10分は勝利を確信し、スタジアムのみんなが幸せをかみしめながら歌ったのを覚えている。
2年前の4月にもソウルを訪れた。 親善試合ながらライバル意識むき出しの真剣勝負に0−1で勝った。 ジョホールとリヨンは中立地、もっともあの時のジョホールは“ホーム”だったが。 つまり私はアウェーで負けていない。 いずれも強烈なアウェーでブルーの勝利を見届けている。 |