
- モーツァルト生誕の地で行われる名実ともに世界一の芸術フェスティバル。
毎年7月末から8月末にかけては、オペラやオペレッタ、コンサートなど数多くの音楽イベントが開催されます。 
- 天才ピアニスト、フランツ・リストの終焉の地としても有名なバイロイトでは、毎年7・8月に開催されるワーグナーの過激、楽劇を演目とする音楽祭です。

- パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並ぶ、世界三大歌劇場のひとつ。
1863年に着工され、1869年にモーツァルトの≪ドン・ジョヴァンニ≫で幕を開けました。
モーツァルトはオーストリアのザルツブルクで生まれました。
ザルツブルク宮廷音楽家だった父・レーオボルトから手ほどきを受け、5歳にして作曲の才能が花開き、
『奇跡の子』と呼ばれ、青年期には、ウィーンで活躍を始めました。
モーツァルトは、わずか35歳で夭逝した短い人生の中で西はロンドンから東はプラハまでヨーロッパ中をさまよい歩きました。
生涯旅人だったモーツァルトの足跡を一緒に辿ってみましょう!
ザルツブルグ
1756年、モーツァルトはこの街で生まれ、
幼い時からその才能を発揮してきました。
「モーツァルト広場」を拠点に、「ザルツブルク大聖堂」や「レジデンツ」などゆかりの地を歩いてみましょう!
賑やかなゲトライテガッセ通りには、
「モーツァルトの生家」があります。
生家は、現在は博物館として公開されており、子供の頃に使った楽器や自筆の楽譜などが展示されています。
ウィーン
1781年、ザルツブルクの宮廷音楽家だったモーツァルトは、大司教と決裂し解雇され、 それまでに何度も訪れていたウィーンに移り住み、フリーの音楽家として活動しました。

プラハ
チェコのプラハにもモーツァルトゆかりの地があります。
少し足を伸ばしてモーツァルトが演奏旅行した道のりを
辿ってみましょう。

バッハはドイツのアイゼナハで生まれました。
その頃、バッハの生地のアイゼナハやその周辺のエアフルトといった町では、”バッハ一族”と言えば音楽家の代名詞で、
町々の宮廷楽士やオルガン奏者、教会のカントル(音楽監督)を務めていました。
バッハは、宮廷楽士の父からバイオリンや音楽理論の基礎を学び、幼少期から音楽の才能を発揮し、1703年には18歳の若さでアルンシュタット新教会のオルガン奏者に抜擢されました。その後、各地でオルガン奏者や宮廷楽士を務め、生涯に1000曲以上を作曲しました。
”バロックの音楽の父”と称されるバッハゆかりの地を巡り音楽に触れましょう。
アイゼナハ
1685年にこの街で生まれ、市内中心部のゲオルク教会で洗礼を受けて少年期を過ごしました。
バッハ一家が住んでいた「バッハハウス」は、1907年に世界で初めてオープンしたバッハ博物館で、
バッハが実際に使用していたオルガン台や当時の古楽器のコレクションが展示されています。
ライプチヒ
バッハは音楽人生の半分以上をライプチヒで過ごしていました。1723年〜没するまで「トーマス教会」のオルガン奏者兼カントルを務めていました。 教会の入り口にはバッハ像が建ち、内部にはバッハの墓もあります。教会の近くには、「バッハ博物館」があり、自筆の楽譜などが展示されています。

ショパンは、ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラで生まれました。
4歳の頃からピアノの手ほどきを受け、即興演奏が巧みで、作曲でも独創的な才能を発揮しました。
ポロネーズなどポーランドの民族音楽を洗練されたピアノ曲として生まれ変わらせました。
ショパンが演奏旅行でポーランドを離れていた際、故郷のワルシャワの陥落を知り、≪革命≫を作曲したと言われています。
(≪革命≫というタイトルは、フランツ・リストが命名したもの)
以降、ポーランドに戻ることなく、パリを拠点に活躍しました。
39年の短い生涯でで数多くの傑作を世に送り出し、『ピアノの詩人』と呼ばれ、今もその曲はたくさんの人々に愛され続けています。
ワルシャワ
幼少期をワルシャワで過ごしました。
「ショパン博物館」には、ショパンが最後に使ったプレイエル製のピアノをはじめ、2500点を超える関係資料や写真や友人や家族にあてて書いた自筆の手紙や楽譜などが残されています。
「聖十字架教会」の本堂内部にある石柱にはショパンの心臓が埋められています。






















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