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岩出山 古の日本へタイムスリップ 伊達な小京都「岩出山」へ
宮城県の内陸北部に位置する、伊達な小京都「岩出山」。
戦国時代の奥羽の覇者・伊達政宗公が仙台青葉城へ移るまでの12年間、
血気盛んな青年期を過した城下町である。
岩出山伊達家、三代宗親公と四代村泰公には、和歌の家である京都冷泉家より御輿入れがなされ、
和歌や能をはじめ、有備館をとりまく回遊式池泉庭園、竹細工など、さまざまな京文化が伝えられた。
現在、内川にそって遊歩道が築かれ、京都の「哲学の道」を思わせる、「学問の道」として親しまれている。
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有備館300年以上前に開設された、現存する日本最古の学問所。もとは岩出山二代領主伊達宗敏のとき、二の丸が焼失した際に伊達家の仮居館として建てられたものであった。その後、三代敏親が「春学館」と名付け家臣の子弟教育のための学問所とした。寄棟茅葺き書院造りの建物で、伊達家の家紋が配される。庭園は仙台藩の茶道頭石州流三代清水道竿の作庭と伝わる。広大な池に4つの島を配した回遊式池泉庭園で、樹齢数百年を越える古木が四季折々の姿を見せる。
◆JR有備館駅すぐ前・年末年始休館 |
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岩出山城址
岩出山城は、室町時代には岩手沢城といわれ、大崎氏の監視役であった氏家氏が代々の居城としたところ。1591年(天正19)、伊達政宗は岩手沢を岩出山と改め、1603年(慶長8)に仙台に治府を移すまでの12年間、岩出山城を居城とした。仙台青葉城への移転した後は、第4子宗泰を要害岩出山1万5千石の領主とした。現在は当時の遺構として、空堀、門跡などが残る。左写真は城址内にある伊達政宗立像。
◆JR有備館駅より徒歩約5分 |
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内川 内川は約400年前に伊達政宗が、岩出山に居城していたときに掘った、用水路を兼ねた外堀である。今も、岩出山を流れる都市河川として下流部に広がる田園地帯を潤す。川沿いには整備された遊歩道「学問の道」があり、城下町の散策コースとして親しまれている。
◆有備館からすぐ |
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陸奥上街道 上街道は奥州街道の一関から栗駒、一迫町真坂を通って岩出山に出、出羽街道に至る道で、平泉に向かうかつての幹線道路であった。鎌倉幕府を開いた源頼朝ひきいる軍勢や、「奥の細道」の作者松尾芭蕉など多くの人々が通った「歴史の道」である。旧道が遺存しており、一部は環境整備が実施されている。
◆JR岩出山駅より車にて約30分
〔写真:宮城県文化財保護課文化財班〕 |
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