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なんかい~添乗員による ペラヘラ祭り体験記 :

2003年8月7日出発 ナンカイ~たび「ペラヘラ祭りを観に行く!感動のスリランカ8日間」は添乗員同行でツアーを催行いたしました。当ツアーでは企画担当者が添乗員として、お客様と一緒に世界遺産に指定されている古都キャンディで行われるペラヘラ祭りを初体験させていただきました。その感動をお伝えする為、以下に彼の手記をご紹介させていただきます。
2003年8月10日 キャンディ。

午前にダンブッラのカンダラマホテルを出発した我々は昼過ぎにマハウェリ川に面して建つ名門ホテル「マハウェリ・リーチ・ホテル」にチェックイン、昼食後、混沌としたキャンディの市中心部へ車で入ってきた。
キャンディはスリランカ中央部に位置し、「スリランカで最もスリランカらしい都」としてシンハラ人の心の拠り所とされている聖地である。1475年からイギリス植民地となる1815年までのシンハラ王朝の都として栄えた歴史を持つ。町自体が世界遺産に指定されている所以は、キャンディ湖岸にそびえる「仏歯寺」に納められている国随一の宝「仏陀の左の糸切歯」の為である。
仏陀の左の糸切歯=仏歯は4世紀にインドの王子が頭髪の中に隠してセイロンに持ち込み、アヌラーダプラに奉納したといわれている。仏歯には雨を降らせ、豊作をもたらす力があるという信仰が広まり、王権の象徴として重要視されてきた。その後、遷都とともに仏歯も一緒に移され、キャンディに落ち着いた。
我々がキャンディをこの時期に訪れた目的は、この仏歯にまつわる国最大の祭典「ペラヘラ祭り」を鑑賞することにあった。
ペラヘラ祭りは年に1度、エサラ月の新月から満月までの2週間に渡って行われる。ペラヘラとは「行列・行進」の意。仏歯を納めた舎利容器を背に乗せ、煌びやかな象が市内を練り歩く華麗な祭典で、最近日本でも注目を浴びつつある。祭りの最後の日=満月の日(ポヤ・デー)にその規模は最大に達するのであるが、我々一行は最終日の前日を鑑賞の日とした。

郊外のマハウェリ・リーチ・ホテルからは車で約30分ほどで市街地に入るが、仏歯寺に近づくにつれ、道路は人と車でごったがえしており、身動きが取れなくなる。

当日のパレード開始時刻は19:30であるが、歩道は炎天下の昼間早くから座り込んで場所取りをしている人々で埋め尽くされ、その機能を果たしていない。ノロノロと進む車中からその人々の様子を眺め、自分がこれから目の当たりにする祭典に心を躍らせる。

ペラヘラ祭り 写真0116:00前に仏歯寺近くで車を降りる。まず仏歯寺を入場見学することになっていた。しかし車を降りて、さあこれからと歩を進めかけたとき、ガイドから混雑の為に急遽仏歯寺が閉鎖され、入場できないことを聞かされる。この祭のツアーを設定した時は多少のハプニングはあるかもしれないとは思っていたが、突然の空白になった時間を埋めることに困り、ガイドと相談の末、市内の民芸品店で時間つぶしをすることとなった。仏歯寺の入場見学は明日(ポヤ・デー)にずらすことにした。
民芸品店で時間をつぶし、再び仏歯寺近辺にやってきたのは、17:00過ぎ。町のごったがえし様にはさらに拍車がかかっており警備が厳しいこともあって、我々は仏歯寺から500メートルほど離れたところで車を降り、混雑の中ガイド先頭に鑑賞席に向かった。スリランカ中の人間がここに集まっているのではないかと錯覚するほどの人の山である。

ペラヘラ祭り 写真02鑑賞席には17:30前ぐらいに着く。パレードの開始時刻(19:30)は当日の朝決まるのであるが、それに従って鑑賞席には18:00までに着くようにという指示を受けていた。交通整理が行われ、それ以降の時間になるとそこに近づけなくなる為だった。
席はクイーンズ・ホテルという仏歯寺隣の老舗ホテルの壁面に無理やりに置けるだけ椅子をつめこんだ有料席である。我々は交差点に面した見晴らしの良い場所で一列並びに腰掛けた。お客様達と私はそこに腰掛けたままパレード開始までの2時間以上を待つことになる。
席の裏手の建物のトイレを使用できるが、一旦席に座ると簡単には動くことができない。人口密度の高い鑑賞席には様々な国籍の人が座っている。お弁当を持ってきて食べている人、本を持ってきて読書している人、準備のよさに関心する。当日の状態について正確な情報をつかめなかった我々は何の装備もなく、道ゆく人々を眺めたり、話をしたりして時間の過ぎるのを待つ。前列に座っている小錦のような巨漢の男性がトイレに行こうとして、とても通れないであろう椅子と椅子との間を皆の協力を得ながらすり抜け、周囲から笑いが起こる。
ペラヘラ祭り 写真03
18:00を過ぎて警備の警官達が慌ただしく動き始め、交通整理がはじまる。馬に乗った警官が時折目の前を闊歩し、することのない人々はフラッシュをたく。18:20頃、車の行き来はなくなる。清掃の車が道路をくまなく掃除し、いよいよ祭りの時が近づいているのに人々はざわざわしだす。
18:45頃日没。私が前回キャンディを訪れた時もそうだったのだが、日没前の一瞬、町は夕焼けに照らされ、パッと日没前よりも明るくなるのだ。オレンジ色に染められた不思議な光景は幻想的である。

ペラヘラ祭り 写真04時計は19:30を示している。いよいよ祭りの始まりである。交差点の向こうから「パチン、パチン」という爆竹を鳴らすような音が聞こえる。その音は次第に近づいてきて、やがてそれが鞭を打つ音であったことがわかる。鞭を体に巻きつけ、キャンディの民族衣装に身を包んだ若者(中には小さな子供もいる)が、約5メートル間隔で練り歩き、笛の合図があると、鞭を振り回し始め、地面に叩きつけ爆竹が破裂したような音を出す。鞭で地面をたたくと、沿道の観客の方々からコインの賽銭が投げ入れられ、それをひとつひとつ拾い集めながらまた練り歩き始めるのである。

先頭の方の若者には数多くの賽銭が投げ入れられる。しかし列の後ろの方にいくに従って、観客も飽き始めたのか、最後尾になるとほとんど投げ入れられることはなくなった。先頭から最後尾までで後で取り分を公平に山分けしているのか、していなければ後ろの方の人はかわいそうだなと思う。
つづいて頭から火の玉を紐でぶらさげゆらゆらと回しながら歩く一行がやってくる。フラフラと無気力に歩き、時には横たわりながら頭に巻きつけた紐を器用に操り、まるで魂を抜かれた幽霊を見ているようである。
さらに大きな火の輪を縦に横にとグルグルと廻しながら歩く集団。後ろに行くに従ってその輪を空高く投げる者、肩車の上のこどもが器用に操っていたり、竹馬に乗りながら廻す者等派手さを増していく。
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ペラヘラ祭り 写真08そして旗をかかげた人々の行進である。青・黄・赤・白・オレンジの縦のストライプの旗を皆持っているが、この模様はスリランカの寺院でよく目にするデザインである。次に黄金の銅版にライオンや様々な模様をほどこした旗を持つ一群が入れ替わる。規則正しく歩む様子はこの祭りの為に入念な練習が行われたのであろうかと想像させられる。
次にどんな行列が現れるのか?興味深々で祭りに吸い込まれていると、いよいよ1頭目の象が登場した。緑の衣装に白色の電球をいくつもちりばめた煌びやかな象が視界に入ると、観客はどっとどよめき、方々からのフラシュがその象に浴びせられる。「ついに自分はペラヘラ祭りを観にきたんだ」とはっと我に帰り、鳥肌が立つ思いをする。 ここからは象の連続である。土地役人、太鼓叩き、象厩舎の長、キャンディアン・ダンスの華麗な一行、副在家総代、仏歯を背に担いだ象、在家総代、神殿の象、神殿の総代、手押しの御輿と続いて一連の集団を形成している。
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キャンディアン・ダンスは正式名「ウダ・ラタ・ナトゥム」(高地の踊り)と呼ばれるキャンディ地方の最も代表的な民族儀礼で、健康・豊作・繁栄を目的とする。様々な衣装に飾られた若者・子供達は笑みを浮かべ、太鼓の軽快なリズムに乗って、規則正しい動きをしながらも個々にオリジナルな動きを少し交えることを楽しんでいるようである。
後ろに恐れをなすような逃げ足っぽい集団が現れると、「いよいよ仏歯の登場だな」と予感したとおり、両脇を御供の象に付き添われた一段と格調高い象が仏歯を背に担ぎ、悠々と現れた。

スリランカには象のカーストがあるとここに来る前にガイドから話しを聞いた。背中よりも頭部が高い位置にある象は優れた象として珍重されるそうである。象の背中にあるまばゆい黄金の舎利が目の前に来ると、仏教の熱心な信者でなくとも、神聖な気持ちになる。
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仏歯の象の後は、「総代」と呼ばれる権力者である。かっぷくの良い体格の総代を側近のような取り巻きが囲み、最後に絵をかいた御輿車がその集団の最後尾であることを知らせる。
この一連の集団は4つあり、ナータ、ヴィシュヌ、カタラガマ、パッティニという国の4大守護神を現している。それぞれの集団は象の電飾の色が異なり(白、黄、赤、青)、衣装の色・柄もそれぞれの電飾に調和して様相を変える。練り歩くキャンディアン・ダンスの踊り方も様々であるので、違った雰囲気をそれぞれかもし出し、観ている者を飽きさせない。
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22:30頃最後の一連が通り過ぎ、軍の大型トラック2台が続いてパレードの終焉を知らせる。所要3時間であったが決して飽きさせることなく、気がつくと時が過ぎていた。夢心地のまま自分が添乗員であることを思い出し、さて帰らなければと思う。祭りが終わると人の流れは増員された警察でもコントロールできず、あちらへこちらへと流れる。時に人の固まりが一斉に走り出し、危ないと思われることもあった。ある程度落ち着いてから、ガイドの先導を頼りにキャンディ湖沿いを車が停めてあるという場所まで歩いた。ガイドに持たせた当社の旗をちょっと見逃すと迷子になりそうな中、その場を立ち去りたくないという名残惜しさに後ろを振り返ると、色とりどりの電飾に彩られた仏歯寺の夜景。しかし混乱状況の中再び戻ることはできず、我々は車へと向かった。

ペラヘラ祭り 写真16
車に乗り込むと、一大イベントを見終えた充足感と、人ごみの中を掻き分けてきた疲れでお客様は皆様ぐったりしている。祭りが終わってなお、盛り上がりを見せる町の様子を車窓に眺めながら、23:30頃マハウェリ・リーチ・ホテルに到着し、夕食後、私自身も心地よい疲労の中、シャワーも浴びずにそのままベッドに入った...
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